私の家の近所には、野良猫達がたむろしている大きな公園があります。
ご近所の猫好きな方が、ミルクや餌を無償提供したりするものですから、彼等が定期的にパトロールにやって来るのです。
ついこの前、歯医者に行く途中の道で、よく見かける猫と偶然遭遇しました。 どうやら、他の猫と縄張り争いを繰り広げている最中だったようです(笑)。
この猫は野良ですから、定期的にどこかで食事をする場所を見つけていて、ねぐらも公園のどこか安全な場所を確保しているに違いありません。
そんな事を思いながら歩いていると、彼等の暮らしは、「ねぐら」を中心に、様々な活動が繰り広げられている事に気づかされます。
我々も同じく、自宅という「ねぐら」を中心に、お仕事にでかけたり、ジムで汗を流したり、使用済みのペットボトルをリサイクルに出したりと、活動を繰り広げている訳です。
「お金のプラン」に関して、私が一貫して言い続けているポイントがあります。
それは、「お金を稼ぐ活動を、井戸水をくみに出る活動」と例えるならば、「ねぐら」と「井戸」は近い方が良い、という事です。
人間のみならず、大抵の生き物は「水」がなければ生きていけません。
つまり、絶対に欠かすことが出来ない「水」を得ることが、生きる活動に直結する訳です。
多くの価値観や、物質的にも恵まれている現代社会だからこそ、ついつい「井戸水をくみに出る大切さ」を忘れがちになってしまいます。
一般的に、仕事をされている社会人の場合、自宅と職場が離れている場合がほとんどでしょう。
12年ほど前の話になりますが、アメリカに来てすぐに働かせてもらった時代、自宅のアパートと職場は30マイル (*約50キロ)も離れていました。
暮らしていたアパートがあった地域は、スーパーマーケットや、レストランなど、生活に直結する生活費全般が、職場の地域よりも格段に安かったのです。
しかし、毎日職場へ向けて運転する日々が始まると、生活費が安いアパートの地域に対する価値観よりも、確実に運転しなければならない長い道のりに対するストレスの方が大きくなっていきました。
実際に、毎日、結構な距離を運転する訳ですから、お給料に対して出て行くガソリン代は一部補助されても、走行距離が上がっていく車の価値は、予想以上に早く落ち込んでいきました。
(※基本的に、車の価値は、年式よりも、走行距離が多いほど、値下がりは早くなります。)
同時に、「長い距離を運転する = 長い通勤の活動に時間が束縛される」という事に繋がる訳で、事故や車の故障などに繋がるリスクも高まる訳です。 (*実際に、2度ほど大きなトラブルに巻き込まれました。)
前置きにが長くなって申し訳無いので、そろそろ本題へ・・・。
要するに、自分のねぐらである【住居を中心】に、「仕事をする場所」や、「食材などを調達するスーパー」、「毎週のように通うジムや習い事」、その他、「お気に入りの息抜きが出来る公園やビーチなど」。
優先順位は、常に「自宅」から始まって、次に「お金を稼ぐ場所」という流れを意識する事が大切だと伝え続けています。
物事には、「きっかけ」が必ずあり、それを実行に移す場合、「計画」があった方がより良い結果に早くたどり着けます。
お仕事をしてお金を稼ぐ活動とは、「生きていく為に必要な水をくむ活動」にも例えられます。
お金を稼がなければ、住居にかかる費用も、食べていく為の費用もまかなえません。
同時に、労働に費やした時間と労力は、自宅で疲れを癒し、次の日に向けた力を蓄える必要があります。
だから、帰る「自宅はとても大切」なのです。
高い家に暮らすことが、より多くの癒しや喜びに繋がるとは、必ずしも言えません。
生きていく為に「仕事を精一杯こなす活動」とは、とても尊い行為です。
野良猫であっても、自分達が安心して眠れる場所を確保してから、食料の調達や、縄張り争いといった活動に従事出来るのです。
つまり、ねどこである「自宅」にこだわるのは、日々の活動を有意義にこなしていく為の「必然的行為」なのだと言えます。
様々な場所で、様々なお仕事に従事されている方で、世の中は成り立っています。
今一度、「自宅」と、「職場」の距離と、通勤に費やしている時間を見直してみてはいかがでしょうか?
それだけで、結構、人生の質そのものが改善されていくはずだと思います。
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